{ 日々の思い }2017.09.28

「それはエサというもの」From kitchenの立上げ

「それはエサというもの」

From kitchenは家庭料理を作る、届けるを基本の考えとして料理教室や「食」の勉強会を開催し、保育園へ献立サービスを展開しています。

最近、中学校の給食があまりにもまずく、不衛生で生徒が残している。というニュースがありましたね。残されたお弁当の写真や業者のHPや経緯を知ると、胸が痛くなります。
効率やコストしか考えていない。「美味しく食べてほしい」という気持ちはどこにもない。

そもそもなぜ私がFrom kitchenという「食」のプロジェクトを立ち上げたのかの。ちょっとお話ししますね。

5年くらい前のこと。駅のトイレに入ったときコンビニで買ったお弁当の食べ残しがありました。あきらかにそこで食べたと思われ残った白いごはんに割り箸がささったままになっていました。
「え?何がおきてる?」と一瞬、信じられなかった。かなり臭いのあるトイレでした。
「ここで、ごはんを食べたんだ。急いでたから?この人にはどんな事情があったの?」と。
その数日後、デパートのトイレでも同じ光景を見ました。

どうしちゃったんだ。こんなことがおきているなんて。

その話を知り合いにしたら、ひとりで食事をする姿を他人に見られたくないからトイレで食事をする。ということを聞きました。私がトイレで見た光景はそういうことなの?
躾とか、行儀とか、それ以前に食べることがエサになってる・・・。

そこで食べたそのお弁当は美味しかった?
おなかは満たせばよかっただけなの?

あきらかにそのお弁当は「食事」ではなく「エサ」
食べることを「エサ」にしてしまったらいけない。

食の情報はあふれかえっているのに、食べる喜びや楽しみはどこかに忘れ去られてしまっている気がします。自分が自分のために「何を食べよう」「どこで食べよう」「誰と食べよう」「ひとりで食べる」と考えることができなくなっているのではないかと。

食べることや食について、どこかで習うことはない。親との関わりも薄くなり、親の世代も忙しくあまり食には興味がなかったり。
食べることって本来とっても楽しいことなんだ。
おなかを満たすと心も満たされる。
作り手も、食べてくれる人の顔がみえて「美味しい」と言ってくれることに喜びを感じて。

食事をエサにしたら、自分を大事にしていないってこと。
だからこそ、食べることを大切にしよう。

食卓が思い出の場所でありますように。
思い出の味が、次の世代へつながりますように。
作り手の顔がみえる料理を。誰かを思って作る料理を。

料理なんて習っていないし、思い出の味もない。
そうね・・・。
ならば自分からはじめればいい。自分が一代目。

ここに来たら習えることがある。
会いたいと思った人に会える。
台所からいろいろなことが見えてきて、いろいろなことを考える。
考えることが大事なこと。
From kitchenは、食のあれこれを一緒に考え、行動するところ。

料理教室で身体に良い家庭料理を習えるのも。
食の勉強会で身体のことをまなべるのも。
保育園の給食サービスでこどもの食事を提供できるのも。

すべては
「いただきます」と「ごちそうさま」