{ 食にまつわるお話 }2019.08.05

「安心のものさし」の作り方|コラム:手島 奈緒

「食べてはいけない食品」「危険な食品」という扇情的な記事をよく見かけます。その商品をふだん食べてたりすると、少しだけドキドキします。記事ごとに違う食品が掲載されていたりして、なんだか食べてもいいものがどんどん減っていくような気すらしてきます。「わたしは何を食べたらいいの!!」と叫ぶ前に、ちょっと待って、「危険な食品」はほんとうに「危険」なのでしょうか。

「危険」と「安全」の意味を考えてみよう


ときに人は、自らの意見を広く拡散するために、極端な言葉を使います。言葉が強ければ強いほど、極端であればあるほど効果があります。「危険」「食べてはいけない」「買ってはいけない」は魔法の言葉。出版社や本を書く者にとって、売上部数が伸びるとても魅力的な言葉です。だからこそ、巷にこれらが溢れます。しかし、わたしにはこの言葉がどうしても使えないのです。なぜならお店に「危険な食べもの」は売られていないと考えているからです。

「危険な食べもの」とは、毒きのこ、素人がさばいたふぐなど、食べると命に関わるものです。また「食べてはいけないもの」の一例として、生の肉が挙げられます。生鶏肉はカンピロバクター、牛肉はO-157、豚肉は寄生虫などのリスクが高く、とくにO-157は命に関わる食中毒を起こすため「危険」かつ「食べてはいけない」食べものと言えます。

直接的な健康被害を及ぼすのが「危険な食べもの」と考えれば「食べてはいけない食品」によく挙げられているカップラーメンや、某社のハンバーガーは危険とは言えません。食べ続ければ問題はあるでしょうが、食中毒を起こしたり、命に関わる感染症を起こす可能性はないでしょう。これらの食品は食品衛生法その他の法律を遵守して作られ、さまざまな基準を満たすことで安全性が担保されているからです。

とは言え、安全だから安心、と言えるかというと、それはまた別の話になります。

「安心」と「安全」は違うもの


究極の安心とは「手作りすること」ですが、この安心には「とてもおいしい」というおまけがついてきます。さらに「食べるとしあわせな気持ちになる」という効能もあります。


たとえば、食品添加物や農薬は、動物実験によって「安全な数値」が確認されています。添加物・残留農薬基準値はこの数値よりもかなり低く設定されます。基準値以下なら食べても健康被害が出ないから「安全」と言えるのです。数字には客観性があるため「安全」なものは誰にとっても「安全」です。

それに対して「安心」は個人の気持ち=主観ですから、100人いれば100とおりの安心があります。食品添加物や残留農薬が心配な人は「基準値以内だから安全」と思えない=安心できないということです。安全と安心を同じもののように考える人が多いのですが、実は全く違うもの。安心のために必要なのは、安心の根拠を持つこと。それをわたしは「安心のものさし」と呼んでいます。

「安心のものさし」は「知ること」から


週刊誌や書籍の「危険な食品」は注意喚起としては効果的ですが、「危険」という言葉がひとり歩きし、なぜ食べものがそうなっているのかという「食べもの作り」について考えるきっかけにはなりません。必要なのは、その本質や背景、問題点を知ること。そうすれば「安心」の根拠がどんどん見つかるでしょう。そうして自分自身の「安心のものさし」がいつの間にかできあがります。

大切なことは、食べものを見る目を養うこと。なぜそうなのか理解し、安心して食べられるものを選ぶこと。「安心のものさし」作りはまず「知ること」から始まります。これからのコラムで、そのヒントをお伝えしていこうと思っています。

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コラム 手島 奈緒

株式会社大地(大地を守る会・現オイシックス・ラ・大地)で編集・広報・青果物仕入れなどを担当し、
おいしいものばかり食べていたせいかおいしいものが大好き。
2010年よりフリーランスライターとして農と食についての情報を発信中。
「そのものがどうつくられているか」「どう栽培されているか」に興味があり、
あまりの偏りぶりに「食材原理主義者」とか呼ばれてめんどくさがられることも。
将来的に自給自足生活をめざして、家庭菜園で野菜の自給&ハンター修行中。

WEB ほんものの食べものくらぶ https:/hontabe.com
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